音楽とともに

先日、末っ子が所属するマーチングバンドが全国大会に出場し
私は、さいたまスーパーアリーナへ応援に向かいました。
この大舞台を高校一年生の頃から経験してきたからか
本人は特に緊張した様子もなく、いつものひょうひょうとした表情のまま。
「すごいね!」と声をかけても、ニヤッと照れ笑いをするだけ。
それでも朝は4時半起き、5時半に出発。
淡々と準備を整え向かう姿に「好きなことを見つけた人の強さ」を静かに感じました。
出番が終われば、午後は母校の後輩たちのサポートに回る。
そんな流れもごく自然に身についていました。

思い返せば、幼いころは食物アレルギーやアトピー性皮膚炎、喘息に悩まされ
入院したり、病院付属の支援学校に転校して治療を受けたりしていました。
一年中鼻水が止まらず、頭がぼーっとするからなのか、集中力の全くない落ち着きのない子でした。
それでも持ち前のひょうきんさと明るさで、友達と楽しそうに笑い転げ
鈴の音が「コロコロ」と鳴るようによく笑い、笑い過ぎて、授業中に廊下へ出されていたことも何度もありました。
先生からもたくさん注意を受けましたし、私も何度も頭を下げてきました。
それでも末っ子は学校が大好きでした。

ピアノを習い始めたのは、まだ小さな手をしていた幼稚園の頃。
音に興味を持ち、全身で感じ、小さな指が音楽に乗って動き出す。
キラキラした瞳で鍵盤を見つめているこの子は「音楽の子だ」と思いました。
中学では吹奏楽部に入り、3年生の春、部長が決まらず、「決まらなければ廃部です」と告げられたとき、末っ子は静かに手を挙げました。
けれど、そこから順風満帆だったわけではありません。
顧問に叱られ、号泣しながら帰ってきた日もありました。
そんな帰り道、外で友達が黙って待っていてくれたり、廊下で泣き腫らした目のままの末っ子に
学年主任の先生が「大丈夫、これからだよ」と声を掛けてくださったこともありました。

そして高校では長男の親友の後押しもあり、県立の強豪校に進学しました。
規律の厳しい昔ながらの指導に
子どもの個性が消えてしまわないかと、感じた時期もありましたが…
気づけばあの落ち着きのなかった末っ子が、音楽を胸に、仲間とともに大舞台へ。

子どもの世界が広がるとき、親である私の扉もそっと広がるのを感じます。
小さな頃からただ「好き」を追いかけてきた先に、今の姿がある。
その過程をそばで見られたことは、私にとって大きな学びであり、喜びでもありました。
そして、子どもが自分の世界を生きる瞬間に、立ち会わせてもらえたのは
ご褒美のような時間でした。

子どもだからではなく、一人の人として尊重し、信じて見守ることは大変なことかもしれません。
けれど、その静かな時間の積み重ねこそが、お互いの自立へとつながっていくのだと思います。

子どもが自分の足で立ち、好きな世界へ歩み出すとき
大人はただ、その光景を受け止める静けさを持てたら…

そんなまなざしを、私もこれから、そっと育てていきたいと思います。

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酒井 のり子
酒井 のり子
あなたが、あなたらしくいられるように、そのお手伝いができたら、とても嬉しく思います。

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