春高バレーとあの頃の私

先日、テレビで春高バレーが流れていました。
仕事をしながらだったので、ほんの少し目に入っただけでしたが
「あ、この季節が来たんだな」と思わず笑みがこぼれました。

実は私も、バレーボールに青春をかけた一人です。
生活のすべてが、バレーボール一色だったころもありました。
小学校高学年から高校一年まで部活として続け
一旦バレーボールからは離れましたが
その後、子育てが少し落ち着いてから約五年間は
ママさんバレーと男女混合バレー、二つのチームに所属していました。

高校でバレーをやめてからずっと
「来世はバレーボール選手になりたい」
そう思い続けていました。
でも大人になってから
「今世で納得できるまでバレーボールをやろう」
「きちんと区切りをつけて終わりにしよう」
そう決めました。
そのくらい、私の人生の中で、バレーボールは大きな存在でした。

高校は、県内で一、二を争う強豪校。
全国でもトップクラスの部員数で、雑誌にも載ったこともある学校でした。
中学まではセッター。引き抜かれて入学してくる生徒もいましたが、私は普通の生徒でした。
それでも、バレーボール選手になることが夢で、その高校を選びました。

けれど身体はあまり頑丈ではなく、怪我が続きました。
思うように練習ができず、それでも毎日鍼治療を受けながら必死に練習していました。

そんな一年生の終わり。
監督に呼ばれ、こう告げられました。
「マネージャーになるように」

青天の霹靂でした。
まだ一年生。これからレギュラーも目指していたし
高校卒業後もバレーボールを続けたいと思っていました。
自分に突出したものはなかったけれど
「オーバーパス、きれいだね」
その一言を支えに、ここまで頑張ってきました。
それなのに、「選手としては続けられない」と言われた。

正直に言うと
私は「誰かのために」「チームのために」裏方に回れるほど
当時の自分は大人ではありませんでした。
とにかくバレーボール選手でありたかった。

その瞬間、ギリギリで保っていた心が
ぽきっと音を立てて折れてしまいました。

そこから一気に気持ちが落ち込み
目標をなくし、目の前は真っ暗で、迷子になったような状態でした。

学校も休むようになり、部活も辞め
学校にも行けなくなった時期がありました。
バレーボールがやりたくて進学したのに
完全に目標を失ってしまったのです。

その後チームは全国大会に出場しています。
もし、あの時マネージャーを経験していたら
「支える」という立場から、たくさんの学びを得られたかもしれません。
でも、当時の私には、そんな余裕は一つもありませんでした。

あの頃を振り返ると
必死すぎて、真っすぐすぎて、子どもすぎて
誰にもどうすることができなかったのだと思います。
けれど今、そんな自分を、少し愛おしくも思えます。

決して楽な三年間ではなかったけれど
あまりにも濃く、凝縮された時間で
確実に私を成長させてくれた青春時代でした。
そんな時代があってもいい。
どんな経験をしてもいいのだと、今は思えます。

春高バレーを見ていると
コートに立つ選手だけでなく
控えの選手、ベンチに入れなかった観客席で応援する選手
そしてマネージャー。
そのすべてを、心から応援したくなる自分がいます。

それぞれの場所で頑張るすべての人に、エールを送りたい。
そして、疲れたら一呼吸おいてもいい…
立ち止まる時間も必要なのだと思います。
あなたの頑張りは、ちゃんと伝わっています。

投稿者プロフィール

酒井 のり子
酒井 のり子
あなたが、あなたらしくいられるように、そのお手伝いができたら、とても嬉しく思います。

コメントはお気軽にどうぞ