想いがつながるとき
ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
先日の記事で触れた映画「人はなぜラブレターを書くのか」を観てきました。
ラジオから流れてきた一曲、Official髭男dismの「エルダーフラワー」
あのとき心を掴まれた感覚のまま、スクリーンの前に。
物語の中で描かれていたのは、確かに生きていたその青年の真っすぐな姿と、
止まってしまったように見えた時間の、その先でした。
20年という時を経て届く一通の手紙が、人の心を静かに動かしていきます。
この「想いを繋いでいく」ということは、人にしかできない、尊い奇跡のようなこと。
亡くなった方の想いが、残された人の心と結びつき、
新たな意味を持ってその人の人生とともに広がっていく。
その連なりの中にこそ、
私たちが悲しみを抱えながらも生きていく理由があるのだと感じました。
そして、エンドロールで流れる「エルダーフラワー」
悲しみを消すのではなく、そっと寄り添う温かな旋律。
深い癒やしを与えてくれる、そんな音楽でした。
「誰かを想う気持ち」そのものが、私たちの歩む先を照らす光になる。
そんな想いが残りました。
そして、私は、我が子をそっと抱きしめたくなりました。
人はなぜ、ラブレターを書くのか。
誰かを想った記憶を、確かな形として残したい。
文章にすることで、溢れる想いが見えてくることもあるのかもしれない。
そしてそれは、カウンセリングとどこか重なるようにも感じました。
想いは、生きているように、呼吸しているように、
体温のようなぬくもりを、そっと宿しているのかもしれません。

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